世論への反逆


 輿論(世論)の存在に価する理由は唯輿論を蹂躙する興味を与えることばかりである。


                                      芥川龍之介


芥川龍之介の本懐は漢語の入り交じった美しい文体にあって天才の手腕が十二分に発揮された散文形式の『芥川龍之介 侏儒の言葉』に冒頭に挙げた一文がある。それを読んだ時芥川龍之介及び文筆家たるもの凡てが世論を蹂躙したがるキチガイ(褒め言葉)の性質を大小の差はあれど内包しているものだと知でなく魂で理解したものだ。
筒井康隆や『ガリバー旅行記』よりも異常な『アイルランドにおける貧民の子女が、その両親ならびに国家にとっての重荷となることを防止し、かつ社会に対して有用ならしめんとする方法についての私案 | SOGO_etext_library』を書いたスウィフト、当代影響力NO.1のキリスト教に反逆したニーチェなどは常識・世論・社会通念の悉くを蹂躪し尽くした稀有な例だろう。

文筆家たらんと志すならば世論は徹底的に蹂躪すべきであり、場合によっては世論以外の凡てに対しても蹂躪してもよく、芥川龍之介は「今生きている人に対して蹂躪すると問題になるけど故人は蹂躪しても文句を言わないから便利だよね(意訳)」と文芸誌に一文を載せて後進者に大きなヒントを示してくれた偉大な先駆者だった。

つまりはこういうことなのだ。


芥川龍之介
「若者よ! おまえが創作の世界の壮大さを 想像できる者ならば
文にオリジナルとパロディという境もなければ
人に絶対侵すべからずという聖域もない!
著作権という枠さえないぞ!」